差別と戦ってきたろうあ者
歴史の長い間、ろうあ者・聴覚障害者は厳しい差別を受けてきました。また障害者は家族の問題と捉えられ、”ろう”である子どもを蔵に隠したり、家に閉じ込めさせたりして表に出さないという時代もありました。
ろうの子どもが生まれないように結婚させなかったり、結婚しても避妊手術をやらせられたり、穴を掘ることができないなど、能力に限界があると軽視され差別を受けていました。
町の中で手話をすると周りからおかしな目で見られたことも、職業も自由に選択することができなかったため、中小企業また個人のお店で働いたりしていました。能力に限界がある、電話ができないなどという理由で安い給料で雇用され不安定な身分でした。
他に運転免許を認めない、民法11条の準禁治産者として扱われるなどろうあ者・聴覚障害者に対しての理解がなかったため差別を受けたまま生活していたろうあ者はたくさんいます。
協会の幕開け
明治時代、ろう学校を卒業した人たちを中心に同窓会などで親睦を深めることから始まり、昭和20年の終戦後、全日本ろあ連盟が誕生しました。
埼玉県では、昭和22年に埼玉県盲唖学校聾部同窓会が設立され、昭和24年、埼玉県川越市で「埼玉ローア協会」が誕生し、昭和26年、埼玉県本庄市で「埼玉県児玉郡ローア福祉協会」が誕生しました。そして昭和27年、埼玉県熊谷市において埼玉ローア協会と埼玉県児玉郡ローア福祉協会が合併し、「埼玉県ろうあ協会」が誕生しました。その後、埼玉県内の市町村に聴覚障害者団体が設立するようになりました。
設立の数年後、聞こえない人達自身で手を取り合って「社会的な差別をなくし、人間としての権利、生活を守る」ための運動を始めました。そうしたなか、協会独自で機関紙を発行し、仲間の自覚を促し、手をたずさえて社会に対し組織的な活動をしてきました。
協会の社会的な役割と存在がますます重くなってきたこと、協会の法人化を強力に推進するため、平成2年に「法人化推進委員会」を設置し、協会の組織・運営の整備を進めるとともに、県に対し法人化の早期実現運動をすすめてきました。その結果、平成6年2月3日をもって正式に法人化が認められ、協会の名称も新しく「社団法人埼玉県聴覚障害者協会」になりました。